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| イビジェカフェトップ > ターザンカフェトップ > 映画コラム[2008年03月26日(水)] | ||||
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結局、逃げる男だけが死んだ。そんなものなのだ。
映画「ノーカントリー」は、3人の男の物語である。 @無差別で殺人をする男 A日常的時間をそのまま生きている男 B自分の人生に自信を失った男 まあ、こんなものである。映画ではこれを@追う男A逃げる男B見守る男、という言い方をしている。 そうか、人の人生というのは追っかけるのか? それとも逃げるのか? そうでなかったら何もできない。しないで傍観者になって見守るしかないのか? この三つだな。わかった。そういうことだったのか。「ノーカントリー」という映画は、意外とわかりやすいではないか。 人生を追っかける 人生を逃げる 人生を見守る ほとんどの人の人生は「逃げる」か「見守る」か、そのどちらかだ。具体的な何かから逃げているわけではないのだが、精神的な心の状態としては逃げているのと同じ。 勇気も度胸もない。だって、世間の人はみんな小心者だから。それって、別に悪いことではないのだ。 この映画では偶然、大金を手にした男がそれに相当する。この男はすべてが平凡そのもの。普通そのもの。 私が最も注目するのは、3人の男の中でこいつだ。人生では圧倒的多数を占めているからだ。実人生では多数派なのだ。 しかし、この多数派は弱者でもある。よって3人の男の中で、やっぱりこの男だけ生き残れなかった。無残に死んでしまう。 そこがこの映画の大きなポイントでもある。生き残った男は人生を追っかけているヤツか、そうでなかったら人生を無力感そのもので見守っている男だったのだ。 逃げているヤツは、こうして最後は殺される。映画「ノーカントリー」の答えはそれだった。 ターザンカフェより) |
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