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| イビジェカフェトップ > ターザンカフェトップ > 今日のコラム[2008年04月11日(金)] | ||||
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ねじめ正一さんの意見に賛成
ねじめ正一さんは毎週「東京中日スポーツ」に連載のコラムを書いている。そこでは野球のことが中心なのだが、今、日本のプロ野球界に2人の勘違い人間がいるというのだ。 よくそんな思い切ったことを書いたものだ。これはなかなか言えない。一般紙のスポーツ新聞ならなおさらだ。 その2人とは、先週、現役引退を発表した元巨人の桑田投手。もうひとりは現在「楽天」の監督をしている野村さん。 いずれも、球界では大物のスターである。その2人に対して“勘違い”と言ったのだ。これは勇気ある発言といってもいい。 しかし、我々は見る側の特権を持っていて感じたことはそのまま言っていいのだが、プロと名が付く人たちは、そのファンや客の声は受けて立つしかない。 それが見られる側の宿命なのだ。いや、エンターテインメントの世界ではそれがルールといってもいい。 桑田氏はこのところ急に“プロレスの神様”という言葉をやたらとマスコミに連発している。それが、ねじめさんからするとハナにつくというのだ。 私も同感だ。若くて元気な時、じゃあプロレスの神様を意識したことがあるの? その時は自分が神と思っていただろう。 じゃあ、最後まで自分が神と思って生きろ。それが男の生き方だ。スペシャリストの生き方だ。桑田氏は焼きがまわった。しょっぱい。 次に、野村監督は勝負に執念を感じない。そういう采配よりも70歳を過ぎているせいか、まるで好々爺を演じている。 試合終了後のコメントは、まったく人事みたいなギャグが多い。あれではコントだ。ふざけている。それを、ねじめさんはまずいと書いていた。 いや、けしからんと言った方がいい。野村さんは、パ・リーグ育ち。だから“ひがみ”を原点にしていた。長嶋や王に対するジェラシーと怨念でその位置を築いてきた人。 それが今では“御前様”みたいにのんきに監督業をやっている。勝負の世界ではあれは失礼だ。野村さんにはもう現場をそろそろお引き取り願うしかない。私はそう思っている。 ターザンカフェより) |
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