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| イビジェカフェトップ > ターザンカフェトップ > 今日のコラム[2008年02月12日(火)] | ||||
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新しい男女関係のあり方について
今、新しい形での男女関係のあり方が求められている。これまでだったら、恋愛は結婚へと落ち着いていく。 当然である。好きになり、愛し合ったもの同士がずっと愛している人のそばにいたいと思うからだ。 それって、ごくごく自然な感情である。それは今も昔も古今東西、変わることのない人間の真実でもある。 問題はその先にある。かつては、家庭生活や結婚生活にはあらかじめ社会的、一般的通念というものができあがっていた。 いわゆる夫(男)は夫として、妻(女)は妻としての役割のことである。その役割が価値観としても定着していた。 すごくいい時代というしかない。つまり、人々は枠をはずれない。壊さない。踏みはずさないのだ。 ただし、時にはもちろん例外が起きる。これもまた人間だから仕方がない。とにかく、それなりに結婚というシステムは強固に、ゆるぎなく存在していたのだ。 ところが現代では、夫も妻も“個”としてのもうひとつの自分(自我)を持っている。それと夫婦生活、結婚生活をどう両立させて生きるかなのだ。 これはやっかいなテーマだ。どうしても、人は愛する人を独占したい。拘束したいという願望にかられる。愛しているがゆえにである。 でも、それはある意味で無理だ。たとえ愛する人でも“個”としての自由は認めるしかない。妻が今日、女友達と食事やお酒を飲みに行くと言ったら、それを止めてはならない。 旦那が何かの付き合いで出かけようとしても同様である。人間だから「え? 行くの? 行かないで!」と言いたくなる。ジェラシーのことだ。 人間は感情の動物。その中で、嫉妬ほど人間的感情はないからだ。そこをぐっとガマンできるか? 正念場だ。 その際の決め手は、愛する人を「信用する」こと。「信頼し切る」ことだ。愛とは結局、相手を信用すること。それしかない。 信用される愛。それが本当の意味で相思相愛のことなのだ。相信相愛といったら、一番的確な言い方になるか。 ターザンカフェより) |
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