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追悼・井上編集長。

・プロレスだけが人生だった人である。新大阪新聞社に入社してからは社会部の記者になり、そのあと運動部へ。そして…。

12月13日、午後1時頃、ボクにとって人生の最大の師である井上義啓氏が亡くなられた。

胃ガンになったということはボクもきいていた。

この秋、ボクはその井上さんを大阪まで訪ねて行こうとしたが、ついに行けなかった。

人はいつか亡くなるものだとはわかっていても、いざ死を知らされると言葉がない。

プロレスだけが人生だった人である。

新大阪新聞社に入社してからは社会部の記者になり、そのあと運動部へ。そして最後は『週刊ファイト』の名物編集長として活躍。

ボクは昭和52年(1977年)の1月から昭和55年4月までの3年間、井上編集長の下で働いた。

『週刊ファイト』が記者を募集した時、ボクを取ってくれた人が井上編集長である。

当時、70人近いファンが応募。なぜか31歳のボクを採用したのだ。

ほかに若い人はいっぱいいたのに…。それがボクのその後の人生の運命を決めた。

今、ボクがあるのはすべて井上編集長のおかげである。ファイトの記者になった頃は花の凡くら記者≠ニいうニックネームを編集長からいただいた。

ボクがベースボール・マガジン社のプロレス編集部に移ると言った時、実は一番、かげで喜んでくれたのは井上編集長なのだ。

だからボクは井上編集長のかわりに東京に出て井上イズム≠プロレス界に広めていくんだと心に決めていた。

井上編集長ができなかったことをボクがやる。それが最大の恩返しであり、そのことは井上編集長も望んでいたことである。

『週刊プロレス』の編集長になった時、初めてボクは井上編集長との約束を果たすことができた。

その後、年賀状をいただくたびにつれ「君、いいからもう君は小説を書きなさい。そっちの道へ進みなさい」と書かれていた。

悲しいなあ。ただそれだけである。合掌。


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