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| イビジェカフェトップ > ターザンカフェトップ > 今日のコラム[2006年06月22日(木)] | ||||
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『文藝春秋』を読んで。
・イエスを裏切ったという事実は逆にユダがほかの11人の弟子よりも、強くイエスを愛していた証拠のような気が…。 月刊『文藝春秋』7月号の中で佐藤優(さとう・まさる)という人が「21世紀最大の発見『ユダの福音書』」というタイトルで文を書いていた。 佐藤氏の肩書きは現在、起訴休職外務事務官。元モスクワ国立大学宗教哲学科客員講師となっている。 なんでもイエス・キリストを銀貨30枚でローマ帝国の兵士に引き渡したユダの福音書が発見されたというのだ。 それを解析したところユダは「イエスを引き渡したのは、イエス自身の言いつけに従ったものだった」という。 そのことが『ナショナル・ジオグラフィック』5月号に掲載されたと佐藤氏は書いている。ボクはそれを読んで「やっぱりな…」と思った。 以前、ボクはユダのキリストへの裏切りには、どこか2人の間の共犯関係の匂いがすると書いたことがある。 イエスには12人の弟子がいた。その中でユダひとりが裏切り者にされてきたのだが、イエスを裏切ったという事実は逆にユダがほかの11人の弟子よりも、強くイエスを愛していた証拠のような気がしていたのだ。 裏切りにはそういう意味が裏にある。結びつきの濃い人間関係の間にしか絶対に裏切りという行為は起こってないからだ。 だから「弟子は師を裏切るものである」という言い方が昔からされてきた。その場合の裏切りは自由への願望も含まれていた。 あるいは師を超える手段でもあった。裏切りによってしかその方法がなかったのだ。十字架に磔(はりつけ)にされたイエスは、あれはキリストによるマイアングルだったのだ。 人々の中にある原罪意識を呼び起こすために打った世紀の大芝居である。そのためにイエスはユダをうまく利用した。 これですべての謎が解けた。ゴルゴダの丘はイエスにとって一世一代の舞台(劇場)でもあった。 そこには見る者(観客)と見られるもの(演者)が作り出す世界が演出されていく。 作、演出、主人公が共にイエス・キリスト。そう考えて十字架のイエスを想像するとすべてが納得できるのだ。 キリスト教の原点にあるものは人間にとって宗教心を持つことが、いかにむずかしいものだという認識である。そこを出発点にしていることだ。 そのためにはみずからすすんで磔になった姿を見せるしかなかった。 だから原罪という概念の発見はキリスト教にとって最大のキーワードになった。 そこから「原罪は救いである。救いとは原罪のことである」という発想が生まれたのだ。 ターザンカフェより) ※6月23日(金)19時半より、第3回「昭和プロレス学・猪木論(3)」を開催いたします(テーマはIWGPシリーズ。詳細はコチラから)。 ※6月24日(土)19時より、第45回「シネマイッキ塾」を開催いたします(鑑賞映画は『インサイド・マン』。詳細はコチラから)。 ※7月15日(土)18時半より、第12回「ビジュツイッキ塾」を開催いたします(鑑賞展覧会は『アフリカ・リミックス』<六本木・森美術館>。詳細はコチラから)。 |
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