|
||||
| サッカー | プロレス | 格闘技 | 野球 | ノンジャンル | ターザン | ||||
| イビジェカフェトップ > ターザンカフェトップ > 今日のコラム[2006年05月24日(水)] | ||||
|
「豊かさ」について。
・「豊かさ」とさ≠ェ付いただけで、この言葉はとんでもない化け物になってしまうのだ。そのことを…。 「豊かさ」と「格差」という二つの言葉を耳にすることが多くなった。 テレビでもこの言葉を司会者などが、何かあったらひんぱんに使っている。 「豊かさ」は現代日本人にとっての心の問題なのだろうか? 一方、「格差」の方は変革、改革を持ち出している政治の方向性がもたらした負の部分のことをさしているのか? 社会的問題として「格差」という言葉をみんなすぐに使いたがる。「豊かさ」も「格差」もボクからすると禁止用語≠ノする。 「豊かさ」という言葉には実体がないのに人は、その言葉に知らず知らずのうちに支配されてしまうからだ。 まったく実体はないからね。それこそ架空なもの、フィクションだからね、それは。 「豊か」というのならわかる。物のことだから。 それが「豊かさ」とさ≠ェ付いただけで、この言葉はとんでもない化け物になってしまうのだ。そのことを誰もみんなわかっていない。 「豊か」はあっても「豊かさ」のさ≠ヘないのだ。 さ≠ニはきわめてレベルの高いことをいう接尾語なのだ。 美しい≠謔閧熈美しさ≠フ方が当然、レベルが高いのだ。会いたい≠謔閧熈会いたさ≠ネのだ。 「豊か」でいいのだ。さ≠付けるな。それで物事をややこしく現代を迷わせるななのだ。 だから貧乏と金持ちと言っていた時代の方がよほどすっきりしている。あっさりしている。人々はそれで納得していたのだ。 そこになんの疑問もなかった。貧乏は貧乏というポジションがあって、それはそれで一つのアイデンティティとして確立していた。 さ≠ネんてややこしい接尾語なんか付けなかった。まずしい≠ナいいのだ。 まずしさ≠ニいったらそれだけで人の気持ちは変な形でデリケートになって、ややこしくなるだけだ。 だからボクは「豊かさ」という言葉はまったくのフェイクだと思っているのだ。 みなさん、そう思わない? 「豊か」なことはあっても「豊かさ」なんてどこにもそれはないのだ。あしたは「格差」という言葉について書く。 ターザンカフェより) ※5月27日(土)19時半より、第44回「シネマイッキ塾」を開催いたします(鑑賞映画『ダ・ヴィンチ・コード』。開始時間が30分遅れます。また部屋が3号室から4号室に変更となりました。詳細はコチラから)。 ※次回のビジュツイッキ塾は6月10日(土)に予定しております(詳細は後日発表)。 ※6月6日(火)19時半より、「ターザン山本!と吉田豪の格闘2人祭!! vol.26」を開催いたします(前売り券はローソンチケットにて発売中! 詳細はコチラから)。 ※6月23日(金)19時半より、第3回「昭和プロレス学・猪木論(3)」を開催いたします(テーマはIWGPシリーズ。詳細はコチラから)。 |
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||