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| イビジェカフェトップ > ターザンカフェトップ > 今日のコラム[2006年03月15日(水)] | ||||
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恋愛の理想について。
・ずばり恋愛は点≠ネのだ。かろうじて一本の線になることはあっても、面≠ノなることはない! 友人の矢部ちゃんがきのう(3月14日)の午前11時、立石にやってきて恋愛≠ノついてターザン山本!の話を聞かせろというのだ。 去年、何かのネットでそれを連載していたら非常に好評だったというのだ。またそれをリニューアルして再開するので、ぜひというわけである。 この恋愛話は今ではプロレスファンよりも女性に人気があるというのだ。 ずばり恋愛は点≠ネのだ。かろうじて一本の線になることはあっても、面≠ノなることはない。 どういうことかというと面に広がるというのは、日常的時間の中に吸収されそこに埋没していくからだ。そうなった時はもはや恋愛とはいいがたいのだ。 点とは簡単にいうとときめき≠フことである。時≠ェめくのだ。時≠ェめかない状態のことを終わりなき日常という。 この終わりなき日常を男と女がいっしょになって飛び越えていく。ジャンプしていく。脱出する。 それが恋愛の最大の魅力なのだ。それを普通、エロスという。ときめかないもの。疾走していかないものはおよそ恋愛とはいわない。 だから恋愛は「点から点へ」が理想なのだ。点と点の間には空白が必要。会えないというハンデが必要なのだ。 ただ問題なのは女性の側からするとその恋愛に関しては責任≠とって欲しいという気持ちが当然としてある。その点から点への運動を一気に面にしてしまおうというわけだ。 確実にその恋愛を自分のものにしたい。現実のものにしたいという願望が働くのだ。生物学的に見てもこの女性心理は正しい。まったく間違っていない。 しかしその瞬間、恋愛はもはや恋愛ではなくなってしまう。そういうパラドックスがあるのだ。 男という生きものはいつも点から点に渡り歩こうとして、恋愛に対する責任感はゼロに近い。ないといってもいい。 エロスは責任のともなわない世界、空間、快楽だったのに後付けの形で責任がともなってくる。 ということは、最も美しい恋愛は悲恋≠ニいうことになるのだ。 なぜなら恋愛は恋愛がヴァニシングポイント(消滅点)になって、逆にそれが完結してしまうことだからだ。 恋愛はそのため「行きはよいよい、帰りは怖い!」というわけである。 ターザンカフェより) ※来週3月20日(月)19時30分より、第1回「昭和プロレス学・猪木論(1)」を開催します(ゲスト…新間寿氏。詳細はコチラから)。 ※第二期「実践文章講座」に参加ご希望の方はメールにて、お問い合わせ下さいませ(tarzan@ibj.co.jp)。 |
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