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黒木瞳さんについて。

きのう黒木瞳さんのことを日記で書いたが、黒木さんが出した本の中での詩は次のようなものだった。
テレビの番組でちらっと紹介されたものだが、要するに彼女は主婦であり一児の母なのだが、女優という仕事をしている母として娘と接触する時間は少ないのだ。
そういう負い目がありながら詩ではそれを逆手にとって、娘(子供)と会えない時間があるから、私は逆に母になるというようなことを言っているのだ。
母という自分を自覚できるというのだ。いやあ、これぞまさしく勝てば官軍言語≠ナある。黒木さんは今、大変な人気者。売れっ子の女優でありタレントでもある。
社会的には成功者である。勝利者である。勝ち組である。成功者は成功者らしく、勝ち組は勝ち組らしい言語を発すべきだというのはボクの考えでもある。
黒木さんは見事にそれをやってのけていたのだ。普通に考えたら娘と接する時間は一般の主婦に比べたらかなり少ないと思う。
相当に少ないだろう。母というのは子供に自分の時間を奪われる。奪取されてしまう。それが母という存在のアイデンティティでもあるのだ。
黒木さんは全然、自分の時間を子供に奪われていないのだ。それってボクは反則だと思う。ルール違反だと思う。しかし世の中には必ず例外というのがある。
・黒木さんにはまいった≠ニいうしかないよ。まったく持って恐れ入りましたの世界である。
黒木さんは例外という特権を得た人なのだ。その例外は庶民の人からするとあこがれ≠ノなるのだ。自分もああなってみたいという願望をそそられるからだ。
得だよなあ。黒木さんは、それで自分の好きなことをやっているんだから。しかしである。彼女の中では子供に会えないからこそ、自分が母であることを感じると言っているのだ。
この見事なまでの思考のトリック。すり変え現象。選ばし者にしかできない発想である。ここまでいったらもうボクたちは何も言えない。
まいった≠ニいうしかないよ。まったく持って恐れ入りましたの世界である。ボクはそういう人って好きだなあ、ホント。
自分を正当化して生きる。いつ、いかなる時でも人生は自己正当化しかないのだ。なぜならそこにはゆるぎない信念があるからだ。
無邪気と強気と才能には勝てないということである。女の人の場合、そこにかわいげ≠ニいうのがプラスされてくるので、それこそ存在が最強化してしまうのだ。
黒木瞳さんの本はそういうこともあって、ボクは逆に読むことをみんなにはすすめない。もう読まなくていい!
ターザンカフェより)
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