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| イビジェカフェトップ > ターザンカフェトップ > 今日のコラム[2005年01月28日(金)] | ||||
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『論語』を読んで。
中国のことを勉強する必要がでてきたので『論語』を引っ張り出した。岩波文庫で字の大きいやつである。 最初の巻第一の一を見てびっくりした。「子のたまわく。学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや。ともあり、遠方より来たる、また楽しからずや」 要するにこれは「学んで適当な時期におさらいをする。いかにも心うれしいことだね。だれか友だちが遠い所からもたずねてくる。いかにも楽しいことだね」と訳されているのだ。 ボクはこれを読んで直観した。『論語』というのは完全な弁証法なのだ。人は学んでもおさらいをする人が少ない。友が遠方から来ることはあまりない。 そういうもう一つの意味があるのだ。つまり人間というのはそうした二面性を持っていて、むしろ人間はおさらいをしない。 遠方より訪ねてこないものだというネガティブなことの方が圧倒的に多いのだ。 それを孔子はよくわかっているので「学びてこれを習う、またよろこばしからずや」とあえてそう言っているのだ。 人間に対して鋭いほど現実的な見方が先にあるのだ。孔子はそれを決してはずしていないのだ。 そういうふうに『論語』を読んでいくと非常にわかりやすい。納得するものがある。 孔子の言葉は常に"反語的表現""反語的言語"として理解すればいいのだ。 ・別に君子なんかになりたくないよという気持ちもあるのだ。でも、気分は君子みたいな。 |
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