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雑誌の表紙について。

歌枕と電話していたら彼が面白いことを言った。ボクたちはその時、雑誌の話をしていたのだ。雑談の途中で彼があることについてふとこんなことを言った。
「編集長が表紙を作る時代は終わったかもしれないですね…」。え? ボクは自分の耳を疑った。雑誌で一番大事なものといったらそれは表紙に決まっている。
表紙がすべてと言ってもいい。表紙でその号の売れ行きが左右される。それぐらい表紙の占めるウエートは高い。
そして雑誌におけるあらゆる表紙は、全部編集長が作ることになっている。そうしないと編集長としての責任がとれなくなるからだ。
そういう形で雑誌は今まで作られてきた。ところが編集長に表紙のセンスがあるのかというと、それは決してそうとは言いきれないものがある。
というよりもまだ雑誌が今のようにデザインとして成熟していない時代だったら、編集長が表紙を作るのもまだよかった。通用した。
中身の"内容勝負"という時代ではそれでもよかったのだ。ところが今はそういうわけにもいかなくなっている。
表紙のデザインが一つの思想とインパクトを表現しきっていないと、どうにもならない時代なのだ。
それに編集長にも能力の限界というのが見えてきた。一応、編集長は総監督の立場にある。それは気分のいいものである。
そうするとどうしてもその編集長のクセや好みが表紙にも出てしまう。性格も当然出る。表紙は編集長という器(うつわ)と自己満足の中で作られてしまうのだ。
・編集長は自分で表紙を作ればそれで自己満足にひたれる。もうそれではだめなのだ。
編集長に与えられた最大の特権である表紙作りを、今こそ放棄しろなのだ。
そして表紙を表紙作りの専門の人間に代行させる。その人間に仕事をふる。それがベターなやり方のような気がする。
この考え方をすると何かつきものが落ちたように頭がすっきりしてきた。
ああ、そうなのだ。編集長が表紙を作っているから、表紙がしょっぱいのだ。
雑誌というのは自分以外の才能をいかに発掘してきて、それを利用、活用できるかにかかっている。
自分の才能なんかしれたものだと思わないといい雑誌は作れない。
編集長は自分で表紙を作ればそれで自己満足にひたれる。もうそれではだめなのだ。
今、日本に出ている雑誌の表紙を編集長以外のものが専門に作るようになったら、飛躍的によくなるような気がする。
ボクもその時は表紙代行業として手をあげる。立候補する。ただ編集長にその度量があるかどうかである。
やっぱり表紙を自分で作れない編集長ってさびしいもんね。
本日のターザン情報)
・本日のターザンカフェの更新は「今日のコラム」「プロ格コラム」「往生際日記」の3本です(「映画コラム」はもう少し時間がかかりそうです。byとほほ歌枕!)。
・今週金曜日(17日)、第21回シネマイッキ塾を開催します。(鑑賞映画『ハウルの動く城』)。
・12月25日(土)にターザン山本!主催によるクリスマス会&忘年会を開催することが決定しました!
ターザンカフェより)
☆「往生際日記」(11月30日更新)にもありますが、「T‐1グランプリ」の審査員をつとめることになりました。
☆12・22ランパチ★バトルトーク(西村修VSターザン山本!)inCafeROUND’87
☆12・28「レスリング・エイド・プロジェクト」後楽園大会で、ターザンシート(4000円)を発売することが決定しました!
☆今週発売の『週刊ゴング』&『週刊ファイト』(駅、コンビニなどで発売)で、コラム(「俺の出番だ!」、「ターザン山本の問答無用主義」)が掲載されています。
☆ターザン山本!Tシャツ絶賛発売中!‐グレートアントニオ公式HP
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