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巨人の清原選手の言葉にしびれた。

 |  |  | | (『東京中日スポーツ』より)ついに2000本安打まで5本となった清原和博選手(巨人)。 |
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きのうの日記の中にも書いたが巨人軍の清原選手の言葉にはしびれた。
「試合に出してもらえるなら…」
「打席にはいることができるとしたら…」
要するに2000本安打にあと5本とせまった清原は、そう言ったのだった。
清原レベルの選手でも今の巨人では常時、スタメン出場できないのだ。
ペタジーニが同じ一塁手として清原選手の前に立ちはだかっているからだ。時としてベンチにまわされることがある。そういう時は試合では代打出場になる。
こういうきびしくて屈辱的な環境の中で、清原選手はよくやっていると思う。普通ならプライドが許さない。ガマンできないと思う。
そういう体験の中から出てきた言葉が、先に紹介した発言である。あれはボクの心にひびいた。清原選手のことが初めてボクは好きになった。それをここで正直に言っておきたい。
今の清原選手はいいよ。素敵な男の人という感じがして仕方がないのだ。
打席は一期一会ではなく一期一打の世界なのだ。
2000本安打達成なんてどうでもいい。どうせあと5本なら近いうちに到達する。
ボクは彼の言葉によって「打席の中にいる自分」という題の詩を書きたくなった。
清原選手にとって一番こだわっているのは、実はそのことなのだ。バッターボックスに立って投手と向かいあっている選手の姿を、ボクは当たり前のことと思っていたがそうではなかったのだ。
あの「打席の中の自分」という言い方を通して清原選手の姿を想像すると、「チョット、待てよ…」という気持ちになった。
打席は孤独である。逃げられない。次の瞬間、打者として“生きる”か“死ぬか”の結論が待っている。ヒットを打てば生きれる。四球でもいいのだ。
三振すると死んだことになる。アウト(死)の方が圧倒的に多いのだ。それを含めて打席という宇宙なのだ。茶の湯でいうと茶室の中にいるようなもの。
そこは一期一会ではなく一期一打の世界なのだ。ウーン、やっぱり「打席の中にいる自分」をボクは詩にしてみせるぞ。
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