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| イビジェカフェトップ > ターザンカフェトップ > 今日のコラム[2004年03月04日(木)] | ||||
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あげ○んとさげ○ん
友達夫婦はきわめて楽な関係 あまり上品とはいえないが、世間には“あげ○ん”とか“あげち○”という言葉がある。その反対語として“さげ○ん”と“さげち○”がある。 要するにこれは男と女に限らないと思うのだ。一つの人間関係が成立するというか、できあがると、その関係がどういうベクトル(方向)に向かうかというのは、きわめて大事なことだと思う。 たとえばある男と女が惚れ合ったとしよう。恋人になったとしよう。結婚したとしよう。まあ、そこまでいかなくてもいい。 いい関係になったとする。 その際、どちらか一方は下がるしかない。問題はどっちが引くのかである。ボクからするとどっちか一方は引けである。 この引き下がること、つまり“引く”ことと“下がる”ことのない関係は、プラスを生むことはないと言っておこう。 少なくとも昔の男女関係、夫婦関係は、女性(妻)が男性(夫)に対して引いていた。下がっていた。 そのかわりしっかりと彼女たちは、パートナーに対して無言のプレッシャーをかけていたのだ。夫として男としてあるいは子供たちの父として、しっかり生きて下さいよというプレッシャーである。 引き下がった人間の方がプレッシャーを与える側になっていたのだ。 これが友達夫婦なんかになると、お互いに平等。 引いたり、下がったりという感覚はない。そうなるとプレッシャーも存在しない。きわめて楽な関係だ。 そうなると、“あげ○ん”“さげち○”という概念もなくなってくる。平等とか対等という考え方には、そういった平板な世界になってしまうのだ。 ボクは相手の人格を認め合う関係も好きだけど、それよりも“あげま○”はあった方がいい。そういう世界の方が絶対に面白い。 ボクは人間関係は相性がすべてだと思っているが、基本的にはボクを出させてくれる“あげま○”と“あげち○”を望む。 ボクは人からはっぱをかけられた方がいいのだ。ただしそれは人による。 |
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