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| イビジェカフェトップ > ターザンカフェトップ > 今日のコラム[2004年03月01日(月)] | ||||
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ボクもキャバクラ好きだが…
“スポーツ自我”について論じてみたい サッカー日本代表の7選手が去る2月9日の夜、無断外出した上に飲酒。それもキャバクラで騒ぎまで起こしていたというのだ。 それが『スポーツニッポン』の1面にでかでかと報道された。W杯アジア1次予選。オマーン戦に向けて選手は茨城県神栖町の宿舎で合宿していた。 ストレスがたまっていたのか、それとも息抜きのつもりだったのか、いずれにしてもありそうな話ではある。人間なら誰だって発散する部分がなかったらやってられない。 ボクだってキャバクラは好きだ。キャバクラに行くことは別に悪いことではない。 ただ、置かれている状況というものがある。立場というものがある。それをはずしてしまうと、スキャンダルになってしまうのだ。 ボクの考えをずばりいうと“スポーツ自我”について論じる必要がある。この場合の“スポーツ自我”とは、競争レベルが半端ではないことが一つの条件としてある。 そういう所にいる選手は一般人とは違う自意識になってくる。仮に頭も心も世間的常識の中にいたら、オリンピックや世界選手権などではとても金メダルや優勝は無理なのだ。 とにかく極度の緊張感をしいられる。そして世界最高レベルにおける勝敗は紙一重で決まる。 しかもその結果はいつも決定的なのだ。そこにはまたは運、不運もある。そのため実力、才能、運という言葉に彼らは悩まされる。 たかがスポーツなのにたかがスポーツではなくなってくる。そうしてアスリートたちの自我は、少しずつおかしくなっていくのだ。自意識が微妙に破綻しかねない状況になる。 今回の事件はそこまでオーバーな話ではない。まだ大人になっていない者たちのちょっとした過ちにすぎない。いうなればガキがやったことと思えばいい。 スポーツにおける一流選手、トップ選手、人気選手は普通の人とは違う人格になっている。彼らにとっては“勝つ”ことがすべてなのだ。 勝利至上主義しか頭にない。それしか自らの存在理由はないからだ。一種、追いつめられている人たち。自意識がフリークス化するのは当然である。 ボクはそれを称して“スポーツ自我”と呼んでいるのだ。このことについてはもっと深く考察する必要があると思っている。 |
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