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| イビジェカフェトップ > ターザンカフェトップ > 今日のコラム[2004年02月04日(水)] | ||||
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もうボクの中で春は来た…
今日、2月4日は暦の上では「立春」と呼ぶ。ボクはこの暦の上ではという言い方がとても好きだ。辞書を引くと立春は「太陽の黄経が315度の時、春の始め」と書いてある。 しかし実際は寒気が大陸からやってきて、気温はきわめて低い。春どころか逆に寒中のど真ん中なのだ。なぜ暦と現実の間にこういうズレがあるのか? ボクが思うに季節は季節を“待つ”ことに意味がある。春は「春を待つ心のこと」をいう。 だから立春とは人々が春を待つ心を、確認しあう行事のことなのだ。ボクは勝手にそう考えている。 待つことはすなわち感じることである。季節は来る前に一足先に感じること。そこに人は喜びと幸福感を持てるのかも…。そういう意味でボクは立春、立夏、立秋、立冬があるのだと思う。 俳句はわずか17文字で表現する世界。そのルールは17文字の中に必ず季語を入れることになっている。四季というか季節がなかったら俳句は芸術として成り立つことは不可能だった。 季節は“待つ”“来た”“真っ最中”“終わった”という起承転結を繰り返す。 春を例にとると迎春、今春、新春、早春、惜春、遅春、暮春、陽春、初春、三春、仲春、晩春、麗春とこんな春の言い方がある。春うららというのもいい言葉である。 「春の海 ひねもすのたり のたりかな」は蕪村の一句だ。 もうボクの中では春は来た。来ている。それは待っている者だけが持つことのできる特権的感覚のせいだ。 |
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