カラテとは? 〜日本大百科全書より〜99:06:17:03:50:23
空手 カラテ
徒手空拳(クウケン)をもって身体の使用可能なあらゆる部位、とくに手脚を組織的に鍛練
し、その一突一蹴(ヒトツキヒトケリ)で不時の敵を倒しうるように修練された護身術。勝敗を
究極の目的とするものではなく、有形無形の試練を乗り越え鍛練を基礎とし、その汗
のなかから人間完成への努力を図って、自己の可能性と礼とを深く窮めていく武道で
ある。四肢を合理的に動かし、しかも平常あまり使用することのない筋肉をも十分に
使用するので、身体の発達が一方に偏する心配のない優れた体育でもある。生理的に
は、正しい呼吸法によって精神を統一し、健康を生み出し増進する体術でもある。
〔発生と歴史〕空手は元来「唐手」と書かれ、沖縄において発達完成された護身術で
あるが、その発生の過程で中国拳法(ケンポウ)の影響を多分に受けている。古くは単に
「手」とも称し、その発生の事情のゆえに秘法視され、教える者も学ぶ者も家族にす
らわからないようにひそかに習練が行われたとされる。これは明治30年代、首里師範
学校で公開されるまで続くが、この秘密性が唐手の性格に深い影響を及ぼしているこ
とは見逃せない。それとともに、その威力のあまりの大きさに、霊妙唐手とか神秘唐
手とかうたわれたのである。
この唐手がいつの時代から沖縄に存在したのか、確かな文献が残されていないので
口伝によるしかないが、1430年ごろ長年の戦乱時代をよく統一しえた中山の尚巴志
(シヨウハシ)王の極端な禁武政策と、1609年(慶長14)沖縄を制圧した薩摩(サツマ)藩による
武器禁止令により、武器をもつ敵からわが身を護(マモ)る唯一の手段は徒手による護身
術しかなくなったとされる。これらの事情を契機として、14世紀ごろ沖縄に大量に流
入した中国の文物の一つとしての拳法が、秘密性の強い唐手へと高度に発達していっ
たのである。
沖縄の手(テ)は、那覇手(ナハテ)、首里手(シユリテ)、泊手(トマリテ)など沖縄の地名によっ
て流派が分かれる。東恩納寛量(ヒガシオンナカンリヨウ)に代表される那覇手は昭霊流とも称し
、体格の大きな人に向く重厚なもので、中国拳法の南拳に似ている。糸洲安恒
(イトスアンコウ)が集大成した首里手は昭林流(小林流)ともよばれ、軽快な北拳に似る。
これらの基となる中国拳法は、5000年の歴史をもつとされるインドのヨーガ、中国の
カンフー(医療体術)、三国時代の外科医華佗(カダ)が考案したという五禽(ゴキン)の
術、達磨(ダルマ)大師が身体鍛練のため少林寺(河南省)において弟子の僧たちに授け
た易筋経(エキキンキヨウ)が、それぞれ大きく影響しているとされる。
〔日本本土における発達〕日本本土における空手の黎明(レイメイ)は1922年(大正11)、
当時沖縄尚武会会長であった船越義珍(フナコシギチン)が文部省に招聘(シヨウヘイ)されて上京
、体育展覧会に沖縄の特技「唐手」を演武、紹介したときに始まる。その後の唐手(
空手)の興隆は、彼の人格的魅力とその指導力によるところが大きく、学生を中心に
修業者が増え続け、24年から35年(昭和10)までの勃興(ボツコウ)期には、慶大、東大
、第一高等学校、拓殖大、早大、商科大(現一橋大)、法大など相次いで空手部が創
設された。これに刺激を受けた関西でも、29年ごろ、麻文仁賢和(マブニケンワ)(糸東
(シトウ)流創始者)、宮城長順(剛柔(ゴウジユウ)流創始者)、本部(モトブ)朝基、屋比久
孟伝(ヤビクモウデン)などの指導者が渡来し、それを機に立命館大、関西大などに部活動
が始まった。この大学生間での高揚がその後の空手道に幸いした。つまり、大学生の
知性と日本武道の伝統と感覚が、霊妙神秘な唐手術を科学性のある近代空手道へと育
成していった。これらは、31年、船越による「唐手」から「空手道」への改称へとつ
ながる。「空」の字は禅の理念に基づき、とくに「道」を加えたのは術偏重を戒め、
武道としての精神面と倫理性を強調する趣意によるとされている。なお空手という字
句は、1905年(明治38)花城(ハナグスク)長茂が著した『空手組手編』が文献上の初出と
される。
1942年(昭和17)から43年ごろは、全国の主要大学の空手部を中心に第一次最盛期
を迎えた。終戦後一時停頓(テイトン)したが、46年(昭和21)大浜信泉(ノブモト)早大教授
がGHQ(連合国最高司令部)、文部省と交渉。古来よりの護身の面のほかに、競技
、つまり他のスポーツと同様にルールを設けて試合のできるような近代スポーツ空手
道が研究されて再開を認められ空手道は「君子の武道」として、新たな歩みを始めた
。47年には早大の道場において初めて各流合同の演武会が行われ、49年船越門下によ
って日本空手協会が結成される。翌年には全日本学生空手道連盟が結成、ふたたび学
生や各流派を中心に隆盛期を迎えた。また、空手道の新しい1分野を開くものとして、
57年第1回全日本学生空手道選手権大会が開催され、同年日本空手協会も第1回全国空
手選手権大会を東京体育館にて公開した。
その後、各流派も一定のルールの基に全国大会を開催、1964年、流派を越えて全日
本空手道連盟が結成された(初代会長大浜信泉)。
〔技術〕空手道では「受けすなわち攻め」の観点からスピードがもっとも強く要求さ
れる。すなわち、受けから攻撃、攻撃から受けへの体さばきと突き、蹴(ケ)りなどのス
ピードで、同時に突き、蹴りなどではタイミングが重要となる。タイミングを逸した
攻撃は、効果が半減するばかりか、相手に攻撃されるすきの原因となる。
身体のなかで空手道に直接使用される部位は、上肢部では手首から先と腕、肘(ヒジ)
など。下肢部では足指の爪先(ツマサキ)、指の付け根の裏側、足の甲や外側面、同内側面
、後踵(ウシロカカト)、膝頭(ヒザガシラ)など。そのほか前額部、後頭部、臀部(デンブ)と、
ほとんど全身が使われる。
〔練習体系〕空手道の主要な練習体系は、基本、組手、型と一般的な各身体部位の鍛
練法である。基本とは、立ち方のほかに主要な攻防の技(突き、蹴り、打ち、当て、
受けなど。)を一つ一つ正確に繰り返し行う練習方法であり、組手とは、相対して基
本技法を実際に応用し、相手との間合い、タイミング、体さばき、転身、反射神経な
どを鍛える練習方法で、修練段階としては、基本組手、約束組手、自由組手とに分か
れ、この過程を正しくたどり修業を積めば、一撃必殺的攻防の技が自由自在に応用実
践できるようになる。型は、複数の敵を想定し、受け技、攻め技を合理的に組み合わ
せてつくりあげられた空手道の独習体系である。型には、敏捷(ビンシヨウ)かつスピード
を要するものと、身体の筋肉を締め固め、それによって急所を隠して行う重厚なもの
との2種類がある。前者は首里手(糸洲系)、後者は那覇手(東恩納系)に属する。型
の種類は、そのおもなものに、「首里手」として平安(ピンアン)初段から五段まで、慈
手(ジツテ)、慈音(ジオン)、慈充(ジイン)、鎮東(チントウ)、鎮定(チンテイ)、腕秀(ワンシユウ)、鷺
牌(ローハイ)初段から三段まで、公相君(コウソウクン)大・小、四方公相君(シホウコウソウクン)、抜砦
(バツサイ)大・小、五十四歩、「那覇手」として三進転掌(サンチンテンシヨウ)、十三(セイサン)、
十八(セイパイ)、三十六(サンセイルウ)、一百零八(スウパーリンパイ)、征遠鎮(セイエンチン)、壮鎮
(ソウチン)、砕破(サイフワー)、来留々破(クルルンフワー)、さらに「泊手」として鷺牌、腕秀、泊
抜砦などがある。
一般的鍛練法としては、以上の練習体系を反復しつつ、腹筋運動によって腹を締め
固め、補助具である巻藁(マキワラ)で、拳(コブシ)や手首、足の裏(指の付け根の部分また
は足首から先の外側)などを鍛え、またバーベルや鉄下駄(ゲタ)、力石(チーシ)など各種
器具を用いて身体各部位の強化を図る。
〔試合および判定方法〕空手道競技には組手試合と型試合とがある。組手試合は、安
全第一の目的から、寸止(スント)めといって相手の肉体に触れる寸前に止めることを大原
則としており、もし一定の時間内(2分間)に勝負が決定しない場合、主審は、副審4
人の旗による意志表示を参考に判定をとる。試合場は8メートル四方のコート内で行い
、2人相対して自由に攻撃しあい、的確な突き、蹴り、打ちなどの技をもって勝負を決
する。技は、定められた部位(頭部、顔面部、頸部(ケイブ)、胸部、腹部、背部)寸前
で止めなければならない。
型試合も、空手道修業のなかで重要な要素を占めており、基本、応用技も組手試合
もすべて型のなかに凝縮されているといっても過言ではなく、「正確」「気魄(キハク)」
「緩急」などのあらゆる要素をもって判定する。判定は、主・副審7名がおのおの1〜
10点までの間を表示し、最高と最低点を削除した5名の合計点が得点となる。
〔現状と展望〕国内的には、全日本空手道連盟は1969年財団法人となり、72年にはア
マチュア・スポーツ団体として日本体育協会に加盟した。70年に流派を越えた第1回全
日本空手道選手権大会が開かれ、国民体育大会への参加回数を重ねている。世界的に
も世界空手道連合(WUKO)が70年に結成され、同年東京で第1回世界空手道選手権
大会が催され、72年(フランス)、75年(アメリカ)、77年(東京)、79年(スペイ
ン)、82年(台湾)と各大会ごとに盛り上がりをみせ、第1回参加33か国に比し、第5
回は60か国参加と活況を呈し、空手道は日本のみのスポーツではなく、世界の共有財
産のスポーツとなった。さらに、85年のIOC総会で世界空手道連合がオリンピック
の公認競技団体に認定され、空手がオリンピック種目となる道が開かれつつある。〈
金澤弘和〉
【本】金澤弘和著『空手型全集』上下(1984・池田書店) ▽同著『空手』(1978・
池田書店) ▽中山正敏著『空手道新教程』(1965・鶴書房) ▽真野高一著『ドゥ
スポーツ空手道』(1984・日本文芸社)