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「ゲド戦記」

・息子による父殺しには刺し違えるぐらいの覚悟が必要なのに、あのアレンにはそうした意味での説得力がまるでない。

映画「ゲド戦記」について書く。

原作になかった話として少年アレンは国王の父を殺す。これが物語の発端に出てくる。

それを見たら誰だってこれはもう宮崎吾朗監督による父、宮崎駿監督の父殺し≠ナあることが明白である。

少なくとも映画をよく知る者からすると、当然そういう裏目読みはして当然なのだ。

では、その父殺しとは何か?

娘(女性)は絶対に父殺しはしない。これは息子(男)に限る出来事なのだ。

その場合、息子は思春期を過ぎて青年になる頃から父殺しの概念が頭をよぎってくる。

この映画のように少年が偉大なる国王である父は殺せない。父殺しをするにはそこまで自我は育ちきっていないからだ。

ボクはそこの部分に違和感を持った。

自立への意志がまだ中途半端な少年にどうして父を殺せるだけのものがあるというのかである。

息子による父殺しには刺し違えるぐらいの覚悟が必要なのに、あのアレンにはそうした意味での説得力がまるでない。

次に父殺しに向かうには父がライバルになっていることだ。ライバルは敵のことでもある。そこには相手を評価する判断力と嫉妬という感情が入りまじっている。

つまりどういう形にしろ父は息子からすると存在が圧力なのだ。世の中で権力とか愛を手にしている存在のことである。

ということは、きわめてパラドックス的(逆説的)にいうと、そうした強い父は自分の息子に実をいうと裏切られたがっているし、殺されたいという潜在的願望がある。

これを父殺しの二重構造という。

近親、師弟、同士、友情に裏切りがつきものなのは、ボクの考えではごく自然なことなのだ。

イエス・キリストがユダに殺されたがっていたというのが一番いい例である。

こんな父殺しの話はない。しらけた。

魔法使いクモと闘うよりも、アレンは映画の最後に父殺しをしてこの話を終わらせるべきだった。

クモなんてどうでもいい。

少年アレンの心の影と闇。その裏返しとしてのイノセントな心。それが成長するに従って父殺しに向かうというなら、現代を感じさせるんだけどなあ。

ボクなら世界の均衡(バランス)を崩してしまった責任を父の世代に責任をとってもらう意味で父殺しを敢行する。

そういう話にするんだけどなあ…。

ターザンカフェより)

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