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再び“隠された日記〜母たち、娘たち〜”について書く

   きのうも書いたが「白」「茶色」「黒」という形で祖母、母、娘を象徴的に表現していたのは、きわめて映画的だった。

   映画とはそのように計算されているのだ。メタファー(隠喩、暗喩)の世界。

   母親役、つまり茶色をベースにしたカトリーヌ・ドヌーヴの存在感は際立っていた。女性としての自由を渇望しながらそれを手に入れられなかった祖母。

   すでにその自由を当たり前のように手にしている孫の娘。その中間に位置しているのがその母である。

   じゃあ、自由とは何かということになる。それも女性にとっての自由とは?   はっきり言ってしまうとそれは社会的、文化的自由、要するにジェンダーのことなのだ。

   だが、その瞬間というかそれと平行して女性は「女は女である」というもう一つの問い掛けを自分にしてしまうことになる。

   女としての根源性への自意識である。ジェンダーとしての自由は解決する。でも、女としてのテーマは残る。

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