スポーツの掲示板ならイビジェカフェ

サッカー、プロレス、格闘技のスポーツ総合掲示板。

サッカー選手のことなら【イビジェカフェ】 プロレス選手のことなら【イビジェカフェ】 格闘技選手のことなら【イビジェカフェ】 ターザンカフェ
今日のコラム
煩悩菩薩日記
プロ格コラム
ターザン山本の裏目読み馬券作戦
競馬西遊記
覆面Xの人間万事塞翁が馬予想
平馬の千円馬券遊戯
映画コラム
元気が出るアジ語!
ゴールドラッシュ
ターザン情報
ターザンストック
イビジェカフェモバイル
イビジェカフェQRコード QRコードをご利用頂くか、以下のフォームにケータイのアドレスを入力して送信すると、モバイル版イビジェカフェのURLが届きます。

しらけた男と退屈な女が性に溺れていった理由とは・・・

 映画「渇き」は男と女の「道行き」「心中」の話だと思ってみると、きわめてすっきりするストーリーである。

 すべてはその結末に向かって話が展開しているからだ。心中するのは男は聖職者、女は人妻。

 その女は自分の誕生日すら知らない不幸な人間。身寄りがない所を義母に育てられ大きくなってからはその息子と結婚。

 もう生きていることが退屈で退屈で仕方がないという毎日を送っている。ここの部分が最大のミソなのだ。

 一方の神父(牧師)も自殺願望者のような顔をしている。早い話、生きることにしらけているのだ。

 しらけている男と退屈な女が出会う中でそれを逆転させたのが性という名の愛欲だった。しかも神父はバンパイア。

 こうなると日本の心中ものとは違い2人の関係はエネルギッシュかつ最高にパワフルだ。これでもかこれでもかと性に溺れていく。

 その背景にあるのは男は男なりに女は女なりに人生を世の中を恨んでいる。憎んでいる。

 その両者の負のエネルギーが合体し、核爆発していくすさまじさが、この映画の魅力でもある。

 まさしくざまあみろだ。痛快である。胸がスッとする。特に女が変貌していく姿は圧倒的だ。美し過ぎる。

 それを見るだけで私は大満足した。心中は2人が正しかったこと、間違っていなかったことを証明するために絶対に必要なことだった。

 それによってしか彼らは自己存在を純化させる手段を知らなかったのだ。これは現代の純愛である。(つづく)

<< 戻る  進む >>
利用規約 ご利用ガイド
Copyright © 1996-2011 INTERNET BUSINESS JAPAN Co., Ltd. All rights reserved.