スポーツの掲示板ならイビジェカフェ

サッカー、プロレス、格闘技のスポーツ総合掲示板。

サッカー選手のことなら【イビジェカフェ】 プロレス選手のことなら【イビジェカフェ】 格闘技選手のことなら【イビジェカフェ】 ターザンカフェ
今日のコラム
煩悩菩薩日記
プロ格コラム
ターザン山本の裏目読み馬券作戦
競馬西遊記
覆面Xの人間万事塞翁が馬予想
平馬の千円馬券遊戯
映画コラム
元気が出るアジ語!
ゴールドラッシュ
ターザン情報
ターザンストック
イビジェカフェモバイル
イビジェカフェQRコード QRコードをご利用頂くか、以下のフォームにケータイのアドレスを入力して送信すると、モバイル版イビジェカフェのURLが届きます。

第6回 朝顔と自意識

 子どもが哲学者であるという定義は絶対に譲ることはできない。この視点に立たないとおかしなことになるのだ。5歳の時だったと思う。自意識が芽生えた。ふとしたことから自分という存在に気付いたのだ。自意識とは自己を客観視する能力のことである。その自己とは生物学的存在のことだ。ある種のモノ、物体といってもいい。その自己を見ている自分がいる。そうか私は二人いるんだ。この二人三脚で私は成り立っている。生きるということはそういうことである。私の中のもうひとりの私。それはつまり司令塔のことだ。

 我れ思う。故に司令塔在り。人生の出発点がここに決まった。そうなると私は山本家という家族の一員では収まりきらない。前にも書いたが居候として置いてもらっている。そんな感じになってしまうのだ。居候は本来、心地いいものとはいえない。部外者の身分だからまわりに気を使ってしまう。だが私にはそんな気持ちは全くなかった。家族を演じていけばいいのだ。それってかえって都合がいいことでもあった。家族であることよりも家族生活の中に埋没していくこと。私はそのことをすでに知っていた。

 さらに続けて気付いたのは視覚の存在である。自意識とは別に私の前には世界というものが見えている。これは一体、なんなんだ? ほとんど意味不明である。知らない間に私の自意識が窮屈な箱の中に押し込められてしまった。監禁状態と変わらない。そんな不安にかられた。私の自意識にはもはや出口はない。まるで無期懲役を宣言されたのと同じではないか? わずか5歳の子どもなのにそんな予感、絶望。自意識というジレンマ。まさしく私は小さな哲学者になっていた。これが私の原点である。

 長屋住まい。平屋建て。三つの家族が入っていた。山本家はその一番、奥。入り口は二つあった。手前が玄関。隣りが台所。続いて八畳間が二つ。さらに縁側。右にトイレ。昔は便所といった。縁側には庭もあった。その中に5人が生活していたのだ。5月の始め庭に朝顔の種を植える。そうするとやがて芽が出て双葉が顔を出す。私はそれを見て驚愕した。余りにもカワイイ。双葉が私に向かってにっこりと笑っているではないか。ホントに優しく語りかけてくるんだよ。私の自意識は当然、動揺した。意味がわからないのだ。やがてすぐ双葉のあとに蔓が伸びてそこから本格的な朝顔に成長していった。

 お役目御免のような存在。でもあの双葉なくして朝顔はないのだ。私の自意識に初めて影が落ちた。7月になると隣りの家との垣根に真っ赤な朝顔が朝、起きると咲き乱れていた。それもわずか1日の命。夕方にはしぼんでしまう。そして夏が終わり、つまり夏休みが終わって9月、二学期になると朝顔は花が実をつけやがて枯れていく。子どもにとって季節を認識するのは春でも秋でも冬でもない。夏なのだ。季節もまた私の自意識に影を落としていった。やはり私は世界から監禁されている。だからといって決して見張られているわけではない。具体的な監視人もいない。だから不気味なのだ。

<< 戻る  進む >>
利用規約 ご利用ガイド
Copyright © 1996-2011 INTERNET BUSINESS JAPAN Co., Ltd. All rights reserved.