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第12回 『自転車泥棒』『さすらい』『道』………そして私と父

 父のことを書く。父と私は年齢にして40違う。現在、私は73。すでに亡くなっている父が生きていたら113歳だ。明治の人だからね。お酒が好きだった。いや強かった。ある時、父に連れられて飲み屋に行った記憶がある。まだ私は小学生の低学年だったはず。そこは客にどぶろくを飲ませた。主人は韓国人。なんか凄く薄汚い感じ。明かりが暗くていかにも怖そうな雰囲気だった。オヤジ連中が飲んでいる横で私はちょこんと意味もなく座っていたことを思い出した。戦後間もなくのことだから昭和29年か30年頃のことだ。

 仕事のストレスか? そうだろうな。もっというなら男として生きていくことのやり切れなさ。それもあったと思う。家族を背負っていたから。女房と子ども4人を食わしていかなければならない。しかしなんのために小学生の私をそこに連れて行ったのだろうか? イタリア・ネオリアリズム。ヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画『自転車泥棒』。あれもまた父と少年の話だった。そこに私と父のことがダブってくるんだよ。社会的に弱い立場にある父という存在。それを息子の視点から見せられ続けるという思い。どうすればいいんだよ。子ども心に切ない気分になっても不思議ではない。

 世の中には強すぎる父を持ったことで苦しむ息子たちがいる。親父が偉大すぎるというのも考えものだ。一生涯、トラウマ。コンプレックス。幸いなことにと言ったら父には悪いが私のケースはまだラッキーだった。正直いって父を乗り越えることは簡単だ。その自信は当時から私にはあった。貧しい家に生まれたのだから仕方がない。そういえば同じくイタリア映画。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『さすらい』。これは父と娘の話。『自転車泥棒』と共通しているのはいずれもダメ親父なんだよ。これがまたどうしょうもないのだ。二つの映画のストーリーはここでは触れない。『自転車泥棒』は1948年。『さすらい』は1957年。イタリア映画黄金時代。

 同じく私が大好きなフェデリコ・フェリーニ監督の映画『道』は1954年。こっちはイカサマ、ぐうたら大道芸人の野垂死に人生だ。私と父のことはイタリア・ネオリアリズムに対抗すれば戦後日本社会の象徴。ジャパニーズ・リアリズムと言えなくもない。そしてついに決定的出来事が父に起きてしまったのだ。それは次回に書く。

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