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第8回 めだかの学校シンドローム

 大人の世界を垣間見たからと言って私が大人になるとは限らない。そこは大事なポイントだ。5歳の時だったと思う。来年、6歳になると幼稚園に入るトシだ。といっても私の町内に幼稚園は一つしかなかった。なにしろ昭和27年の話である。西暦だと1952年。戦後からまだ7年目。しかし私は一応、団塊の世代に入る。その最初の世代だ。昭和21年生まれだから。ある時、例によって父と母が私にわからないようにヒソヒソ話をしていた。

 まだ5歳だったがなぜかそういう時、耳をそばだてて聞き逃さないのだ。あれってどういうことなのだろうか? 話の要点はこうだ。申し込みが多くて入園できないかもしれない。人数に限りがある? じゃあ、どうすればいいのか? 諦めるのか? 幼稚園は別に行かなくても何も問題ではない。私は正直、どっちでもよかった。両親はなんとか息子を幼稚園に入れたい。その理由は何なのか? コネを使うか? つまり誰か偉い人に頼んで入れてもらう。そんな話をしていた。この時、私は本能的に社会とは基本的に公平ではないことを知った。

 申し込み順番制でもくじ引きでもない。それ以外の何かが左右している。幸い結果的に私はその幼稚園に入園することが出来た。めでたしめでたしなのか? その時、誰が一緒だったのか全く覚えていない。幼稚園児はまだ自我が確かな形で芽生えていないからだ。これまですでに何回も書いてきたし言ってきたことだが、幼稚園時代の思い出は『めだかの学校』という童謡なのだ。あの歌をみんなで歌わされたことが一種のトラウマになった。ほかにも童謡はたくさんあったはずだし、それを同じように歌っていたはずなの全然、記憶にない。『めだかの学校』の歌詞がまたよく出来ていたのだ。

 「みんなでおゆうぎしているよ」「みんなでげんきにあそんでる」「みんながそろってつーいつぃ」。完全にやられたよ。洗脳だ。洗脳。まるでバカみたいな世界である。私はこんなのにいちいち付き合ってなんかいられないと本気でそう思った。退屈だ。限りなく退屈。面白くない。第一つまらない。教室で歌を歌わされ、そうでなかったら砂遊びだろ。暇つぶしにもならない。暇つぶし以下だよ。おそらくこれは私だけではないと思う。みんな誰もが感じていたはず。人生とは退屈な時間とのお付き合いでしかないのか? さすがに幼稚園児には人生という言葉は存在していなかった。勘だよ。勘。予感。

 後になって私はあの時の体験を勝手に「めだかの学校シンドローム」と名付けた。もちろん6歳の私がそんなことを思っていたとは両親は知る由もない。私の方からそれを言う必要もない。家族、親子の関係はあくまで世間がその都合上、考え出したものに過ぎない。人は物心ついた時、私の場合、それは6歳だったが、自分が孤独であることに向き合うしかないことを悟った。その孤独は明らかに家族関係よりは上位概念としてある。孤独しか自分の根拠にならない。家族という根拠は人工的に作られたものだ。その家族にはとてつもなく強力な重力があるのだ。人間は地球という重力と家族という重力の二重重力に支配された生きものなのだ。

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