スポーツの掲示板ならイビジェカフェ

サッカー、プロレス、格闘技のスポーツ総合掲示板。

サッカー選手のことなら【イビジェカフェ】 プロレス選手のことなら【イビジェカフェ】 格闘技選手のことなら【イビジェカフェ】 ターザンカフェ
今日のコラム
煩悩菩薩日記
プロ格コラム
ターザン山本の裏目読み馬券作戦
競馬西遊記
覆面Xの人間万事塞翁が馬予想
平馬の千円馬券遊戯
映画コラム
元気が出るアジ語!
ゴールドラッシュ
ターザン情報
ターザンストック
イビジェカフェモバイル
イビジェカフェQRコード QRコードをご利用頂くか、以下のフォームにケータイのアドレスを入力して送信すると、モバイル版イビジェカフェのURLが届きます。

第7回 弟が生まれた時のこと………

 「人間は、決して、親の子どもではない」。坂口安吾の言葉? ピンと来た。私も同感。たしかに私には両親がいた。父と母である。山本家の長男として生まれた。実際には母の胎内からこの世に出て来たと言った方が正しい。父からではなく私は母から生まれたのだ。もしかすると父は関係ないかもしれない。父という立場は半分、傍観者だ。そこに男の切なさと儚さがある。父に対してはどうしても距離感があるのは仕方ないことなのだ。母とは先付けの関係。父とは後付けの関係。私にとっての親子関係はそうなる。

 父の子? それは曖昧だ。母の子? 一応そうなる。この差は決定的と言ってもいい。私は母の子宮の中にいた時、すでに私だった。その私は産道を突き抜けて自力で飛び出した。その意味で母といえども私からすると母は他者になる。親子という概念は社会的見地から出てきたものだ。ということは人はそれに付き合って生きていくしかない。両親、父も母も家族も社会的存在である。そこには当然、支配力が働く。社会の枠組みという目に見えない圧力、プレッシャー。5歳の時、私が山本家の中で他人として生きていたと言ったのは間違っていなかったのだ。私は私だけを拠り所にしていたからだ。

 はっきり言う。父から教えてもらったことは何もない。母から特別に何かを言われたこともない。父は普通に外に出て働いていた。母は普通に家の中で家事をしていた。それ以上に何かがあるとかあったということはない。すぐ下の妹は2歳違い。2歳の私が妹が生まれたことの意味をわかるわけがない。弟とは4つ違い。その弟が生まれる時、私は家の外に出された。妹と弟が生まれる時、母はお腹が大きかったはず。それも記憶にない。妊娠という知識が私にはなかった。外に出された時、八畳間の奥で何やら秘密めいたことがあるという予感が頭の中をよぎった。昔は産婆さんが助産婦として活躍し赤ちゃんはみんな家で生まれた。今のように病院で出産することはなかった。

 私は弟の出産を間近で体験した時、私が知らない大人の世界があることを思い知らされたといってもいい。これは正直いって只事ではない。大人の世界、イコール、社会のことでもある。それは全て自分とは無関係な存在である。この無関係なものと向き合って生きていかなければならない。無関係なものとのコミュニケーション。その始まりが家族なのだ。家族には肉親という言われ方をする。だから家族が社会を意識するスタートだったとしても肉親という言葉に助けられるという一面がある。

 長屋住まいだから雑魚寝である。ある時、夜中にふと目が覚めてしまった。いつも父と母は別の布団に寝ていた。私たち子どももそうだ。二つあった八畳間に分かれてだ。目を開けると何か声がした。横を見ると父が寝ていた布団。その父の上に母がいて何やらコソコソと喋っているではないか。夫婦での相談ごとのように見えた。男女の秘め事ではない。私は見てはいけないものを見てしまったと思いこれは夢なんだと自分に言い聞かせた。そのまま何もなかったことにして再び眠りに落ちた。これもまた私という個人にとっては無関係な大人の世界のこと。私は山本家に居候している他人だからそのことを無駄に突っ込んではいけないのだ。子どもにとって生きるということは哲学していくしかないのだ。自意識が唯一の根拠である。それだけは譲れない。妥協できない。私は私という人間とだけ付き合っていく。

<< 戻る  進む >>
利用規約 ご利用ガイド
Copyright © 1996-2011 INTERNET BUSINESS JAPAN Co., Ltd. All rights reserved.