スポーツの掲示板ならイビジェカフェ

サッカー、プロレス、格闘技のスポーツ総合掲示板。

サッカー選手のことなら【イビジェカフェ】 プロレス選手のことなら【イビジェカフェ】 格闘技選手のことなら【イビジェカフェ】 ターザンカフェ
今日のコラム
煩悩菩薩日記
プロ格コラム
ターザン山本の裏目読み馬券作戦
競馬西遊記
覆面Xの人間万事塞翁が馬予想
平馬の千円馬券遊戯
映画コラム
元気が出るアジ語!
ゴールドラッシュ
ターザン情報
ターザンストック
イビジェカフェモバイル
イビジェカフェQRコード QRコードをご利用頂くか、以下のフォームにケータイのアドレスを入力して送信すると、モバイル版イビジェカフェのURLが届きます。

ボブ・バックランド

“超新星”というニックネームで売り出された。

1980年代の始めニューヨークでWWF(現・WWE)のヘビー級チャンピオンになったのは、ボブ・バックランドだった。

ニューヨークといえば世界一の大都会。プロレスの本場としても日本のプロレスファンのあこがれの地でもある。

ここで長くチャンピオンに君臨したのは“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノのだった。

彼はイタリア系アメリカ人。その次に有名なのがペドロ・モラレス(写真・右)。モラレスはプエルトリコ出身だった。つまりサンマルチノのイタリア系移民のヒーロー。

モラレスはプエルトリカンの英雄というわけである。ロスに行くとメキシコ人が多いのでメキシコ人のミル・マスカラスが人気があった。

このようにかつてのアメリカのプロレスは多民族国家、あるいは人種のるつぼでもあるアメリカでは、どちらかというと階級的に貧しい人たち、つまりプアイタリアン、メキシカンの人たちのヒーローが主役を占めていた。

要するに下層階級の人たちの娯楽。プロレスは彼らの欲求不満のはけ口でもあった。だからそこでは白人の方がヒール(悪役)だった。

そのシステムを逆転させたのがバックランド(写真・左)だった。ここに初めて白人としては正統派のチャンピオンが出現したからだ。

とにかくプロモーターのビンス・マクマホン(現マクマホンの父)のお気に入りだった。そのためバックランドは“超新星”というニックネームでファンに売り出された。



ボクはマット界の“星の王子様”と名付けた。

ところがこの男は天下の堅物男だった。飲む、打つ、買うはまったくやらない。レスラー仲間とほとんど付き合わない。

練習好きでひまがあればトレーニングしかしない。ほかのレスラーからすると野暮天男の典型。

いうなれば世間ずれしていない純粋な田舎育ちの若者という感じだった。

だから逆にそれでバックランドはまわりから浮き上がってしまい、偏屈とか変人にしか見えなかった。

顔はそれこそ赤ちゃんみたいに童顔。ベビーフェイス(正義)そのもの。

練習好きだからコンディションは抜群。真っ白い肌。そこでボクは彼のことをマット界の“星の王子様”と名付けた。

アマレス出身の動きは奇麗だ。力もすごかった。キーロックされると片手で猪木を持ち上げることもへっちゃら。

しかし真面目すぎてプロレスは融通がきかない。猪木もバックランドと試合をする時は苦労していた。

今、思うとこんな泥臭くてうさん臭いプロレス界によくバックランドみたいにイノセントな若者が、チャンピオンになれたと思う。まさに“星の王子様”というしかないレスラー。

あんな人は二度と出てこないだろうな。彼には一服の清涼剤的価値があった。



◆ペドロ・モラレス

1942年プエルトリコ生まれ。182cm。110kg。主なテリトリーはニューヨークで海外修行中の馬場にドロップキックを伝授した。イワン・コロフからWWWFヘビー級のタイトルを奪取し、ブルーノ・サンマルチノとの75分フルタイム戦防衛を始め二年十ヶ月王座に君臨した。日本ではその後新日マットで第三回ワールドリーグ戦の決勝を坂口征二と争う。



◆ボブ・バックランド

1950年ミネソタ生まれ。193cm。115kg 。アマレス出身でファンク道場での修行時代にはハンセン、鶴田と同期であった。“超新星”と呼ばれ’78年にスーパースター・ビリー・グラハムを破りWWWFヘビー級の第8代王者になり新日本参加時には猪木と61分フルタイムの死闘を演じた。その後猪木に敗れ一時王座陥落したものの通算7年近く長期安定政権を築く。新生UWFやUWFインターにも参加し高田や船木とも対戦する。滞空時間の長いハイアングル・アトミックドロップを得意技にしていたが初期のUWFで有名になったチキンウィングフェイスロックをMSGでの防衛戦で使っていた。



利用規約 ご利用ガイド
Copyright © 1996-2011 INTERNET BUSINESS JAPAN Co., Ltd. All rights reserved.