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都垂れ死について。

・都会という言葉がなかったらボクの人生は何も狂わなかった。子供の頃、この言葉を知った瞬間…。

歌枕から聞いた話によると、誰かが野垂れ死に≠ノ関する本を書いたようである。

それをいうならボクだってもう7、8年前にその本は書いているのだ。残念ながらどこの出版社から出したかも忘れた。手元にその本もない。

悲惨である。でも、あれからボクの考え方は少しだけ変わった。何が変わったかというと野垂れ死に≠ニいう言葉についてである。

たしかに昔なら野に垂れて死ぬというのはわかる。それはまだ文明開化していないずっと昔、昔の話である。

だったらその言い方はあらためる必要がある。じゃあ、何に変えればいいのか? ボクという存在のアイデンティティは都会がすべてなのだ。

都会という言葉がなかったらボクの人生は何も狂わなかった。子供の頃、この言葉を知った瞬間、ボクの人生観は突然変わった。

田舎(故郷)にいたら人生は終わりだと。終わりではなく生きていることの快楽から遠ざかってしまうという一種の危機感である。

それ以来、何がどうあってもオレは都会をめざすという気持ちになっていった。



・語感は悪いが都垂れ死に≠ニいう言葉が頭に浮かんできた。ノタレジニからトタレジニへである。

都会には「快楽」と「孤独」と「フィクション」がある。

その中で最大のフィクションが出会い≠ナある。だから都会という言葉は「都(みやこ)で(人で)会う」と書くのだ。

「出会い」と「孤独」は表裏一体の関係にある。人は適当に孤独になり適当に出会いがあると、これはもう最高のバランス感覚といえるのだ。

この二つは人生においては完全にセットになっているのだ。その二つをつなぐ接点のところ、すなわちクロスして化学反応するところに真の快楽があるのだ。

だから孤独なき快楽、出会いなき快楽なり。ウン、そうなると都会で野垂れ死にすることが理想なのだ。

そうなると語感は悪いが都垂れ死に≠ニいう言葉が頭に浮かんできた。ノタレジニからトタレジニへである。

野から都へである。どちらにせよ人の死はすべて人生が未完で終結することを意味しているのだ。

ウーン、むなしい。好きなことをやるしかないのだ!



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