| “VTルールはB柔術のためのルール”という批判があります。 VTがブラジルで盛んに行われるようになったことにグレイシー柔術が深く関わっていた のは確かで、歴史の流れの上では“柔術がVTを生んだ”と言ってもいいようです。しか し、VTルールは、一対一の格闘をなるべく制約のない形で試合形式にする目的のもとで は十分な必然性と一般性を備えていると私には思えます(試合形式にする、という過程 は実戦から偶発的なシチュエーションを取り除き普遍化する、ということです)。 まあ何もそんなにリキんだ言い方をしなくても、これ以上制約のないルールを実現する のは、そもそも、ちと難しい。 パンクラチオンをひきあいに出すのは乱暴かも知れませんが、こうした試合形式(一対 一で、“せーの”で始める何でも有りの戦い)は古代から世界各地にあったんじゃない かな、と空想しています。 何が言いたいかというと、歴史としては柔術がVTを生んだわけですが、概念としては、 はじめにVTありき、だということです。 数十年前のグレイシーのデモ・フィルムをビデオで観ましたが、それは数年前に行われ たヒクソンvsホイスのエキシビジョンとは似ても似つかないものでした。投げから関節 につなげる動きは、むしろコマンドサンボのデモに似ていたような気がします。デモや 演武はいうなれば理念の世界ですから、グレイシー柔術初期の理想形はほんとにこうい うものだったのでしょう。 しかし、プロパガンダ活動でもあるVT戦を繰り返す内にグ レイシー柔術は変化を遂げ、当時の技術とはかなり違う体系ができあがっていったよう です。 “柔術”としての技術体系の独自性よりも、彼らにとって仮想的な実戦であるVTでの有 利を優先したわけです。この発想、当たり前なようで日本人にはなかなかできません! そしてこの柔軟性こそがグレイシー柔術・ブラジリアン柔術が他の格闘技(高専柔道も 含めて)ともっとも異なる点だと思います。彼らにとって普遍的なものは柔術ではなく てVTなんじゃないか、と私は考えてるんですけど。 |